明治大正昭和をどう見るか?
現代史は見えにくい。近代史もなかなか見えにくい。特にボクらが住んでいる日本という国がかつて戦争へどのように進んでいったのか?という道筋を読み解こうとすると、あっちこっちからの言説が多くあって、実際はどうであったのか?なかなかイメージしづらい。でも、そこが判らないと今という時代もよく掴めないので、努めてそのような関係の本を読んでいる。 桜蔭出身の東大教授・加藤陽子の書いた「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)は、「最新の研究を踏まえた」内容で、これまで読んだ本の中ではダントツに面白かった。そして、良い視点をたくさん見せてくれた。ただし、これはやむを得ない事だろうが、やはりボクには「国家を云々する人間たちの存在」を基本とする、あるいはその無意識な介在が「東大教授」の視点に現われているようにも思えた。 この本を読む前にボクは安彦良和のマンガを3作読んでいた。 「王道の狗(イヌ)」「虹色のトロツキー」「天の血脈」の、近代史3部作とも言われる3作だが、これらは、主人公が架空の無名人として描かれ、物語はフィクションでありながら、歴史上の人物を随


吉田春治の漆喰彫刻
2011年3月11日の大震災によって、花泉にある吉田春治の「唐獅子土蔵」もかなり傷付いた。その2年後にボクは以前のホームページに以下のような文章を掲載した。 岩手県花泉には、「唐獅子土蔵」と呼ばれる蔵がいくつか存在する。 明治時代に左官職人・吉田春治が作った土蔵だ。 蔵という建築物は、基本的に倉庫であるし、現代には必要だと思われていない。 実際今では、蔵を新築したという話すらほぼ聞こえて来ない。 それは仕方ない事かもしれないが、ここでは、もう少し踏み込んで考えてみる。 吉田春治がこれらの蔵を建て、漆喰の唐獅子を庇の上に設置したのは、明治時代の中期だ。 大きな地震を含めて自然災害の多いこの国で、120年以上も健在であったという事実をまずは、考えてみなければならない、と思う。 東日本大震災ではかなり傷付いてしまったので、補修・保全の必要はあるものの、蔵というものは、かなり頑丈にできている。 丁寧に作った蔵は、ロの字型の壁の芯になる柱の数が多い!(土蔵は、基本的に壁だけで踏ん張っている。)これを現代に活かさない手はない。 軒裏の手の込んだ垂木