

土蔵の修復について−あるいは「土にかける手間」
左官と付き合って30年になる。 もちろんボクは左官職人ではないので、「左官の友人となって」という意味だ。 30年も経ってようやく「土の仕事」の相談をいただけるようになったのだが、ホント、土の仕事で、ボクのような美術・デザインの輩が関係するのは、なんとなく憚られて、ブレーキをかけていたような気もする。 であるけれど、やはり左官の主人公は土であり、土を除外して左官は語れない。 「左官回話」でも書いたが、土を中心にして考え、土ありきで思考すると「土の思想」とでもいうべきものに至る。土が主人公であるから、その他は全て土の弱点を補う脇役と考える。 土は雨で溶けてしまう。表面は摩擦に弱い。と、「建築には不向き」なことばかり。土の塊である土蔵が新しく建造されたなんぞという話は、ここ数十年聞いたこともないのも仕方のない事なのかもしれない。 しかし、土の素晴らしさを知っていると、あるいは知ってしまうと、思考方向が反対になる。要するに「土こそは絶対に必要、故に土を守り、土を活かせ!」という考えになる。これが「土の思想」であり、土の思想を見事に体現した建築物が土蔵であ