

今週のアトリエ雑記(窓)
ここのところ、毎週埼玉県秩父郡にあるアトリエ(作業場)に通っているのだが、いつものように守秘義務があるため、つくっているものは公開できない。 そこで、今回は窓の写真をいくつかご覧いただこうか、と思う。まずは、南側の窓。 大きな桐の木が生え始めたのは、ボクがここを借りた頃だった。もとは農協のお茶工場だったのだ。 今では、この桐があるために、夏は日差しが遮られて内部が暑くならない。また、窓を開けても大きな桐の葉に遮られて外から内部はよく見えないので、秘密が守られやすい。 「オレの桐の木」と呼んで大事にしている。 次は北側の窓。栗の木が見えている。ちょうど花が咲いているので、けっこう匂う。秋にはたくさんイガが落ちる。ボクの借りている土地の木ではないので、拾って食べることはない。田舎では、こういう事は気を付けないといけない。 実を言うと、北側真正面には、数年前まで素敵な古民家が見えていて、窓を開けるのが楽しみだったのだが、実に残念な建て替えがおこなわれ、風景が台無しになってしまった。 そのためちょっと西側に向けて視線を曲げざるを得ないのだ。 この建物の西


アクリル彫刻は、彫刻なのか?
今年はアクリルの塊に向かう日が多い。うまく進んでいるとは言えず、止まったり進んだりなのだが、「重さ」の点では、これまでで一番重い塊に立ち向かっているかもしれない。仕上がり予想重量が1トンのもある。重量物なので、一人では危険な作業でもあり、若い友人や仲間の応援を受けつつやっている。 だが、やっていると、これは彫刻と言えるのか?判らなくなる。透明のモノを透明もしくは半透明に扱うので、立体でありながら立体ではないような感覚になる。実際にはクッソ重いのに、その存在感が軽いのだ。いや、軽いというより、「モノではない」ようなのだ。あるいは、外側を削っているのに、中を掘っているような錯覚、つまり中の空間をつくっているかのように思えたりする。 小さいモノより余計にそう感じるのは何故なんだろう? 下の写真は仕事としては成立しなかったモノなのだが、取り組んでいる間は、やっていて面白かった。そして、これが心底大事なのだが、こういうヤツに取り組んでいる期間、世界がと〜〜てもキレイに思えるのだ。完成を見ずに壊すが、心にはしっかり残ったし、可能性をたくさん感じる。いつか、必