たまにはサッカーの話をするかな?

November 29, 2017

 「最近のお前の話は美術や音楽ばかりだ」と、友人に言われてしまったので、たまにはサッカーの話をしようかな?、とおもいます。

 

 まずは、浦和レッズのアジアチャンピオン!おめでとうございます!

 (浦和はボクのルーツなので嬉しいです!)

 

 でも今年(も)Jリーグで強いのは、鹿島アントラーズと川崎フロンターレです。

 

 思うに、このアントラーズとフロンターレの強さは、「指導者」の「教え」もしくは「薫陶」ではないでしょうか?

 

 アントラーズの基本理念はジーコが築いたものだし、フロンターレは、風間八宏という指導者の存在が大事だと思えるのですが、この二人とも「サッカーの本質を理解した指導者」であった、ということが、ボクは大事だとおもうのです。「サッカーの本質を理解した」なんぞと、サッカーの専門家でもないボクが言うのは滑稽でしょうが、まぁ、そう、ツンケンせずに少しだけお付き合いくださいよ。

 

 サッカーという競技は、「集団スポーツ」というカテゴリーの中で、最も選手個人の判断やプレーが重要な競技だと理解しています。要するに「選手の自由度が高い」もしくは、「自由を基本にした」集団競技です。(試合が始まったら、監督が出来る事はホンの僅かでしかない。)もっと言うと「個人個人が自由である方が有利な集団形成を特徴とする」と言ってもいい。(そのへんが、「ぼくがサッカーを好きな理由」なのでしょうね)

 

 全ての「スポーツ」は、ルールに依って縛られています。

 「戦う」ことが前提なので、これは仕方ないところです。ですが、あまりにもルールが多い、もしくは複雑である、判りにくい、ということであると、広く一般に普及しない。そしてそのためプレーヤーの数が増えない。観客も増えない。という事になってしまいます。

 

 サッカーは、その逆で、ルールが少ない。オフサイドがメンドウと言えばメンドウですが、それ以外はほとんど簡単明瞭。でも、サッカーに全く興味のない人にとっては、ボールがアチコチ行き交うだけで点もなかなか決まらず、つまらないスポーツ!って事になってしまいます。

 

 さて、こういうボクが「サッカーを見る面白さ」に出会ったのは、(中学生・高校生の頃ですが)、かの有名な「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組の岡野俊一郎さんの「解説」だった!のです。なんだか見る見るうちに「サッカーが見えてくる」感じで毎回興奮しながら番組を見ていましたし、来週の放送が待ち遠しかったのです。

 

 「サッカーが見えてくる」というのが、お判りになるでしょうか?

 ボールがアチコチ行き交うだけ、ではない世界が見えて来ます。

 この選手のこのプレーがゴールに結びついた、とか、この選手の存在がチームを救った、とか、そういう世界が見え始めると、これは、ヤミツキになっちゃうものです。

 

 プレーヤーとしての自分はもうとっくに「終わって」いても、「サッカーを見る人」としての自分は大人になっても続き、親になっても続き、サッカーを語っちゃうおじさんとして、4年に一度のワールドカップの試合が全試合は見れなくても、出張仕事の真っただ中でも深夜のNHKに釘付け!そのうち全試合見られるようになって大興奮!というバカげたサッカーおじさんだったのですよ。

 

 なんの話だったかな?

 

 「指導者」の話でしたね。スミマセン。

 

この「指導者」を、ボクも15〜20年くらいやってしまった、のです。(35歳くらいから55歳くらいまで)。

キッカケはひょんな事ですが、少年チームの指導者、中学校の部活、少女チーム、中学生の女子チームの指導者を次々と「やってしまった」。。15年以上、かなり本気でやってしまった。。

 

 もう今では、指導の現場は引退しましたが、小さな区市町村レベルの「サッカー協会」には関わり続けて、「協会運営」の現場には居ります。

 

 そんなボクが感じているのは、「サッカーという競技の本質を理解した指導者」の「不足」です。

 

それは、小さな少年少女チームから、高校、大学のチーム、Jリーグのチームまで、まったく同じ「不足」です。

 

 例外として、鹿島アントラーズと川崎フロンターレの2チームを揚げたのですが、他にももちろん個人の指導者で、高いレベルに至っている人はあちこちに少なからず居る、と思います。ボクも数人以上存じ上げておりますが、でも、人数的には圧倒的に「不足」です。また、そのような人が実権を握れない実情も見ています。

 

 ジーコと風間八宏を例には揚げましたが、各カテゴリーに必要な指導スキルは異なります。また、技術の細分化と、進化、そして人格形成の進歩は必要としても、ボクが今回強調しておきたいのは、

「サッカーという競技における個人の自由度の重要性」への指導者側の理解です。

 

 これを基本にしないと、サッカーは先へ進めない。

 

 現に、これを理解している指導者にチームが続いていると、自然に強くなる。

 

 サッカーにおける指導者というのは、「目の前のサッカーが見えている人」でなければならないし、「見えた上でこの先更に何が必要か?」がまた見えていないとならない。と、いうことは、サッカーの指導者というのは、ほとんど「芸術家」と変わらない資質を必要とする、ってぇことです。

 

 これは「キリがない」という事ですし、大前提として「キリがない」事を無性に楽しめる人格でないと無理だと言う事です。

 

サッカーを見る、という事で語りましたが、すべからく、文化というものは「プレイヤー」と「ウォッチャー」で出来上がっていますよね?

 この国のサッカーでは、「ウォッチャー」の中の「指導者」というプロフェッショナルがまったく不足しているという問題を、僭越ながら、今回考察させていただきました。

 

 悪しからず、悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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