明治大正昭和をどう見るか?

 現代史は見えにくい。近代史もなかなか見えにくい。特にボクらが住んでいる日本という国がかつて戦争へどのように進んでいったのか?という道筋を読み解こうとすると、あっちこっちからの言説が多くあって、実際はどうであったのか?なかなかイメージしづらい。でも、そこが判らないと今という時代もよく掴めないので、努めてそのような関係の本を読んでいる。

 桜蔭出身の東大教授・加藤陽子の書いた「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)は、「最新の研究を踏まえた」内容で、これまで読んだ本の中ではダントツに面白かった。そして、良い視点をたくさん見せてくれた。ただし、これはやむを得ない事だろうが、やはりボクには「国家を云々する人間たちの存在」を基本とする、あるいはその無意識な介在が「東大教授」の視点に現われているようにも思えた。

 この本を読む前にボクは安彦良和のマンガを3作読んでいた。

 「王道の狗(イヌ)」「虹色のトロツキー」「天の血脈」の、近代史3部作とも言われる3作だが、これらは、主人公が架空の無名人として描かれ、物語はフィクションでありながら、歴史上の人物を随所にちりばめる、という手法を採る事に依って、「国家というものに翻弄された一個人」を描いている事に共通点がある。いずれの作品も、なんらかの事情からか?物語としては「尻切れとんぼ」の印象は否めない。しかしながらイメージ(図像)という意味では、かなり読者へ迫るものがある。その点で幾多の評論よりも圧倒的に現実味があろうというものだ。

 まぁ、その話し以前に、「自分の立ち位置」の方が大事であろう。

 「国家を云々する者」と「国家に翻弄される者」では、まったく違う視点が形成される、という事実をよくよく考えてみないとならない、とボクは思う。そして、「国家を云々する者」は、おそらく「翻弄される者」の数%に過ぎない人々なのだ、という事をあらためて考えてみようと思うのだ。

 ボクの友人で木工家のダニー=ネフシュタイ(イスラエル人)が、本を書いた。

 表題は「国のために死ぬのはすばらしい?」というらしい。らしい、というのは、まだボクはその本を手に取っていないからなのだが。(要するにまだ読んでいない)

 読んでいないのに評価するのはまったく無理というものだが、多くの人が気づいているとおり、この「国家」に関する問題というのは、新しい「貧富」の問題、「国内における上層、下層」の問題、なのだ、という事である。

 人々の間にある種の緊急事態が忍び寄ってくる時、それは、ある一種の切実な「使命感」を伴ってくる場合がある。「こんなにつまらない自分が誰かの役に立つのなら」「自分の小さな命がこの○○のために役立つのなら」というある意味素朴な「使命感」である。そういう心は確かに社会を変革する力を発揮する!!であるのだが、しかして、それを悪用するヤツらが居るという事実。。。

 ボクは美術屋・計画屋という「職人」の一種であるので、特にこの時代の美術や建築などに関わる考察もいずれしていきたいと思うが、それにはちょっと時間が要るなぁ。。。      (敬称略)

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